プログラマ35歳定年説に対する私の理解
SI業界の一般レベルの人間を想定。
- 23歳 新卒入社
- 26歳 入社4年目
- なんとなく仕事を覚えて、そこそこ仕事が任されるようになってきた
- 新卒の子を見て、仕事できねーなという感じを持つようになる
- 上司からは「そろそろ上流工程(設計)ができるように」みたいなことを言われ始める
- 仕方ないので、会計入門のような本で勉強する
- 30歳 入社8年目
- 35歳 プログラマ定年
- 技術面の勉強をさぼってきたツケが出始め、プログラムを書くことに支障が出始める
- 自分は上流工程ができるし、下流工程は部下にやらせよう
- 上司は敵対部署(もしくは顧客)と戦っている
決して勉強してないわけじゃないんだけど、外部環境(組織として最適化された結果)かなぁと。
追記
過去の事はよくわからんけど、少なくとも今は、
- 慢性的にプログラマは不足している。
- 設計ができる人間がもっと不足している。
- でも、目の前に仕事はある。
- 設計は相応の経験・スキルが無いと担当することは無理だが、「大枠の設計があり、それに細かなパラメータチェックを追加して、実装して、動作確認(疎通確認)する」程度なら、多少スキルが低くてもできなくはない。
- むしろ最初はここから入って、経験を積む。
- 高スキルな人間を集めるのは非常に難しいが、若手・低スキルの人間を集めるのは比較的容易。
- 高スキルな人間は設計が主体となり、若手・低スキルの人間は実装やExcel方眼紙の清書が主体となる。
- 当然、スキルに応じて単価に差が出る。
- 会社としては単価を高くしてもらいたいし、高スキルな人間には低スキルな人間を付けられるので、売り上げが立てやすい。
というように、人手が足りない中でどうやって売り上げを上げるか、という仕組みになっている。で、特に情熱もない大多数の人間を誘導して、売り上げを上げるための分かりやすい方便が「上流工程」であって、「35歳定年説」ではないかと。
結論としては、35歳定年説とは、単に用兵の話であって、よく言われる体力ガーとか技術ガーとかは、使われる側が自分の立場を正当化していたのが定着してしまったのではないか、という理解です。